卓球男子の全日本選手権で、張本智和選手が水谷隼選手を破り、史上最年少で優勝しましたね!
チョレイという雄叫びがうるさいことや、両親が中国人で帰化したことも注目されていますね。両親は元卓球選手だったようですが、どんな人なのでしょうか?
今日は張本選手の両親が日本に来て帰化した理由や名前、経歴について調べてみました。
ではさっそくみていきましょう!
張本智和選手のwiki風プロフィール!
張本 智和(はりもと ともかず)
*出生名 張 智和
*生年月日 2003年6月27日(14歳)
*出身地 宮城県仙台市
*身長 172cm
*体重 61kg
*血液型 O型
*出身校 仙台市立東宮城野小学校→東京都北区立稲村中学校 在学中
*所属 JOCエリートアカデミー、木下グループ
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E6%9C%AC%E6%99%BA%E5%92%8C
現在の世界ランクは11位で、最高順位です。そして、主な記録です。
ITTFワールドツアーU21男子シングルス 優勝 21歳
世界ジュニア選手権シングルス 優勝 13歳163日
世界選手権シングルス ベスト8 13歳
ITTFワールドツアー男子シングルス 優勝 14歳61日
全日本卓球選手権大会男子シングルス 優勝 14歳208日
あのリオデジャネイロオリンピック銅メダリストの水谷隼選手に2回勝利していて、1回目が世界選手権の3回戦、2回目が2018年全日本卓球選手権大会の決勝で見事勝っています。
★全日本選手権の女子シングルス優勝の伊藤美誠選手の記事はこちら
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張本選手の両親の名前や経歴は?
張本選手の両親が元中国人ということは知っている方も多いと思いますが、どんな両親なのでしょうか?
父親は、張本宇(はりもと ゆ)さんです。
日本オリンピック委員会強化スタッフ、男子ジュニアナショナルチーム(JNT)コーチ、JOCエリートアカデミーサポートスタッフ、バタフライ・アドバイザリースタッフをしています。
そして仙台ジュニアクラブ代表兼監督で指導もしています。中国では元プロ卓球選手だったようです。
母親は張凌(ちょう りん)さんです。バタフライ・アドバイザリースタッフで、仙台ジュニアクラブの副代表兼監督をしています。
1995年の天津市で行われた第43回世界卓球選手権も元代表選手で、中国ナショナルチームに所属していたようです。また、マレーシア女子ナショナルチームの監督の経験もあるようです。
両親そろってすごいですね!当時の試合結果や世界ランクまではわかりませんでしたが、中国のプロ卓球選手や代表選手というだけで、相当な実力の持ち主でしょう!
これだけの両親に指導されていたら、強くならないわけないですよね!
張本選手も両親はなぜ日本に?!
両親が日本に来た理由
張本宇さんが1998年に仙台ジュニアクラブのコーチとして招かれたことがキッカケで、宮城県仙台市に来たようです。その後、凌さんと結婚。
約20年卓球を教えていて、去年の夏には張本卓球場を開設。仙台ジュニアクラブの練習場として、指導にあたっているようです。
父親の宇さんは中国に戻り、プロチームのコーチになることが目標で、中国のチームからも戻ってきてほしいと話があったようです。
しかし仙台で張本智和選手が生まれたり、生活の基盤が出来てきたことで、日本にいることを選んだようですね。
日本に帰化した理由
2014年に張本選手、父親、妹は日本国籍を取得し、中国名の「張」から日本名の「張本」に変えています。母親だけは中国国籍のままなのだそう。
中国に戻ると日本以上に強い選手がたくさんいて、レギュラーになることが難しく、また中国のトップ選手になることはそれ以上に難しいので、日本に帰化したのかなと思いました。
しかし、張本選手の強い思いで日本に帰化したようです。自分が育った日本で、日本の国旗を背負って戦いたいと。
両親は帰化することは考えていなかったようですが、張本選手の思いを叶えようと帰化することにしたのだそう。
日本の卓球選手には中国から帰化した人が多いですね。吉田海偉選手や、小山ちれさんがいますね。
小山ちれさんは過去に世界ランク1位になったこともあり、全日本選手権の女子シングルスでは史上最多の8回優勝をしています。
また当時中学3年生だった福原愛選手に「中国には愛ちゃんレベルが1000人いるんだよ!」と言い捨てたことが記憶に残っていますw
まとめ
張本智和選手の両親の名前や経歴、日本に来て帰化した理由についてでした!
*父親は張本宇(はりもと ゆ)さんで、中国の元プロ卓球選手。
母親は張凌(ちょう りん)さんで、1995年の天津市で行われた第43回世界卓球選手権も元代表選手で、中国ナショナルチームに所属していた。
*両親が日本に来たのは、仙台ジュニアクラブのコーチとして招かれたから。帰化したのは張本選手が自分が育った日本で、日本の国旗を背負って戦いたいという強い思いがあったから。
張本選手は間違いなく東京オリンピック、それ以降も日本のトップ選手として活躍していくでしょう!今後のさらなる成長が楽しみですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!